大判例

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最高裁判所第一小法廷 昭和36年(オ)30号 判決 1964年1月23日

判   決

松山市唐人町二丁目一七番地

上告人

藤原清一

右訴訟代理人弁護士

川本作一

香川県仲多度郡多度津町大字多度津甲九八一番地

被上告人

有限会社横田食品工業所

右代表者代表取締役

横田柳助

右訴訟代理人弁護士

阿河準一

右当事者間の為替手形金請求事件について、高松高等裁判所が昭和三五年一〇月二七日言い渡した判決に対し上告人から全部破棄を求める旨の上告申立があり、被上告人は上告棄却の判決を求めた。

主文

原判決を破棄し、第一審判決を取消す。

被上告人の請求を棄却する。

訴訟の総費用は被上告人の負担とする。

理由

上告代理人弁護士川本作一の上告理由について、

当事者間に争がない事実及び証拠によつて認定できる事実として、原判決の引用する第一審判決の確定した事実は次のとおりである。すなわち、被上告人は判示(イ)(ロ)(ハ)(ニ)の各為替手形各一通額面金額計四三万五五二一円を振出し、上告人は右各手形につき引受をなしたものであるが、右各手形は被上告人から上告人に対し昭和三二年一〇月頃から同三三年二月までの間に売渡したアラレ菓子の右同額の代金の支払のため上告人において引受けたものであること、そして右アラレ菓子には食品衛生法に禁止されている硼砂が混入していたこと、元来被上告人は昭和三一年四月頃から澱粉アラレの製造販売を営み、同年三二年一月頃から上告人との間に取引を開始したものであるところ、これに硼砂を使用することの有害なることを当初は知らなかつたが、同年一〇月末頃新聞紙上で硼砂を使用したアラレの製造が食品衛生法により禁止されていることを知りこれを使用しないでアラレを製造する方法の研究を始めるとともに、上告人に対し当分アラレの売却を中止したい旨連絡したところ、上告人は「今はアラレの売れる時期だからどんどん送つて貰いたい、自分も保健所に出入りしているが、こちらの保健所ではそんなことは何も云つておらぬ、君には迷惑をかけぬからどんどん送つてほしい」旨申向け送品の継続を強く要請し、その結果本件の取引が行われたというのである。

思うに、有毒性物質である硼砂の混入したアラレを販売すれば、食品衛生法四条二号に抵触し、処罰を免れないことは多弁を要しないところであるが、その理由だけで、右アラレの販売は民法九〇条に反し無効のものとなるものではない。しかしながら、前示のように、アラレ製造販売を業とする者が硼砂の有毒性物質であり、これを混入したアラレを販売することが食品衛生の禁止しているものであることを知りながら、敢えてこれを製造の上、同じ販売業者である者の要請に応じて売り渡し、その取引を継続したという場合には、一般大衆の購買のルートに乗せたものと認められ、その結果公衆衛生を害するに至るであろうことはみやすき道理であるから、そのような取引は民法九〇条に抵触し無効のものと解するを相当とする。然らば、すなわち、上告人は前示アラレの売買取引に基づく代金支払の義務なき筋合なれば、その代金支払の為めに引受けた前示各為替手形金もこれを支払うの要なく、従つて、これが支払を命じた第一審判決及びこれを是認した原判決は失当と云わざるを得ず、論旨は理由あるに帰する。

よつて、民訴四〇八条一号、三九六条、三八六条、九六条、八九条に従い、裁判官全員の一致で主文のとおり判決する。

最高裁判所第一小法廷

裁判長裁判官 下飯坂 潤 夫

裁判官 入 江 俊 郎

裁判官 斎 藤 朔 郎

裁判官 長 部 謹 吾

上告代理人川本作一の上告理由

本件上告は原審判決が大審院判例(後記)に違反し、従つて法律の解釈を誤つて審判されている事実を陳述して上告の事由とする次第である。

(一) 昭和三十二年十月頃から同三十年二年二月頃までの間被上告人の製造に係るアラレ菓子を上告人が継続的に買入をしてゐたところそのアラレ菓子の中に毒性の硼砂が混入してゐたこと、右製造業者である上告人に対し、昭和三十三年二月十日附三三年発丸保第八四号を以て香川県丸亀保健所長からその製造にかかる全商品の回収をして之を廃棄すること及製造営業を昭和三十三年二月十日から二十六日まで停止する行政処分を受けたこと(乙第一号証)右行政処分がなされた日時と同時頃、昭和三十三年二月十一日附三三発菓乙第二七七号を以て香川県民生部長が丸亀保健所長宛に本件有毒アラレに関し「硼砂含有の不良アラレについて」と題し次の内容の指令を出してゐること(乙第二号証)即ち、被上告人の製造したアラレ菓子販売先香川県内香川町川東井上製菓企業組合外四ケ所から収去したもの、及被上人から収去したもの何づれも検査の結果硼砂が検出されたが之は明に食品衛生法第四条の規定に違反するものであり、更に上告人は右アラレに硼砂の混入を知つて使用してゐた事実もあるので食品衛生法第二十二条の規定によつて次の通り行政処分されたい、尚処分の結果については速に報告されたい。

1 有限会社横田食品工業所から既に出荷されてゐるアラレの生地を使用して菓子製造工場において加工済のアラレを回収させること。

2 回収に際しては菓子製造工場の所管保健所に回収の日時を連絡せしめ食品衛生監視員立会の上引取らせること、県外に出荷された分については本庁から連絡するから本人に於いて日時が決定すれば連絡されたいこと。

3 回収の終つたアラレの生地は貴所食品衛生監視員立会の上廃棄させること。

4 アラレの生地製造業は一週間営業を停止すること。(乙第二号証)の指令を発してゐること等は原審記録の通りである。

(二) 而して上告人は第一審に於いても亦第二審に於ても上告人(原告、控訴人として)と被上告人間に行はれた本件アラレ菓子の売買契約は硼砂を含んで居り従つて食品衛生法第四条第二項第六条第七条に違反の契約であること、右条項は強行法規であるから従つて強行法規違反は民法第九〇条及九一条の法意に照し該契約は無効であると主張し来つたことは記録上明であるのみならず、第一、二審の判示にも亦右主張した事実を認めてゐるところである。

ところで、被上告人は第一、二審(原告、被控訴人として)共に食品衛生法第四条第二項、第六条及第七条(以下食品衛生法諸規定と略称す)は専ら行政上の取締を目的としたもので之に違反する取引は同規定処定の罰則適用の対象となるとしてもそれは単に行政取締に違背するに過ぎないから該取引は当然無効でないと主張し来つたこと第一、二審の判決摘示の通りである、第一、二審判決は右被上告人の主張をたやすく採用し、上告人の前記無効の抗弁を排斥して上告人に敗訴の判決をしたものである。

右第一審の判決が香川県食品衛生部長、丸亀保健所長が被上告人に発した前記行政命令従つてその根処をなす右食品衛生法諸規定の禁止規定が、強行法規なりや否の審究を軽視し判決書第五枚目裏第二行乃至五行目に於いて『右食品衛生法の規定は専ら行政上の取締を目的とするものであつて、これに違背する取引をしたものには同法所定の制裁を科するに止り、その取引自体を当然無効とする法意ではないから』と判示して以て上告人の被上告人に対して主張した本件取引が無効であるから手形支払の債務を負はぬとの人的抗弁を排斥したものである。

而して第二審判決も亦第一審判決を維持し更に控訴判決書二枚目裏一行乃至七行目に於いて「契約が公序良俗に反して無効だと言ふためには、唯単に動機等に不法があると言ふのに止らず、その不法性が強度であつてこれを無効とする必要が当事者の私的な利益や更には当事者間の具体的衡平おも度外し得る程の場合であることを要するのであつて中略、前記引用の本件売買契約に関する経過を徴するとこのような程度の不法性は認めることが出来ない言々」と判示し民法九〇条により無効ではないとしてゐるのである。

(三) 原審判決は、大審院昭和二年(オ)第三七七号同年十二月十日民事第四部判決(以下大審院判例と略称す)に違反した判決であり従つて民法第九〇条、第九一条の解釈を誤つてゐるものと信ずる次第である、以下之につき陳述する本件有毒硼砂を含有するアラレ菓子取引が食品衛生法諸規定(本項に於いても同法第四条第二項、第六条、及第七条を諸規定と総称す)に違反してゐる事実は原審に於いて認められてゐるところである、而して右違反取引の効力が無効なりや否は右食品衛生法諸規定の立法趣旨に従つて定むべきであることは右大審院判例の説示するところである。

第一審判決に判示の通り食品衛生法諸規定は単に営業者を取締ることを目的として唯之に違背した営業者が罰則の適用を受くるに過ぎぬと判示してゐることは食品衛生法諸規定立法の趣旨にまで詮索深究して判断されたとも考へられない次第である。

右大審院判例の一節に、「行政法規の趣意専らその行為より生ずる法律上の効果を弾圧するにあるときは、その行為は無効なること勿論なるも爾らずして唯その行為を為すと言ふこと、そのもの即一客観的事実を禁遏するにあるときはその行為の法律上の効果は何等その発生を妨げられることなし例へばワイセツの文書図画を販売した者も亦詐欺によりてある財産を買得したる者もその処罰せらるる点に於いて択ぶところなしと雖も前者の売買が当然無効なるに反し後者の売買は有効にして唯相手方に取消権を与へらるるに過ぎざるは蓋し此にありては法禁の存するところは詐欺によりて売買をなすと言うこと自体にありて売買によりて以て当該財産権の移転すること、そのものにあらざればなり」と説示されてゐるのである。

翻つて本件有毒アラレ菓子についての食品衛生法諸規定の禁止の趣意は本訴当事者の本件取引行為自体を禁止することを目的としてゐるのに止るのか或は右取引行為の効果として有毒硼砂含有のアラレ菓子の所有権が製造者から卸商人更に小売商人終局的に之を食する不定多数人へと転々移動して一般公衆の衛生を毒する結果を弾圧することが食品衛生法諸規定の立法の趣旨とするか、上告人は右後者であることを確信する次第である。

之大審院判例に説示されているワイセツ文書、図画の販売契約が其の効果として右文書、図画自体の頒布を弾圧すると本件に於ける有毒菓子の広く頒布せらるる効果を弾圧するのと彼此その不法性に択ぶところがないと思料する次第である。

さればこそ本件に於いても、乙第一号証、乙第二号証を以て窺知し得る如く本件アラレ菓子取引行為から生ずる効果を弾圧するため香川食品衛生部長及び丸亀保健所長が被上告人の工場内、及被上告人が卸売りした右有毒アラレ菓子の販売先を数ケ所(乙第二号証)を突止め香川県内と県外を問はず何づれも右アラレ菓子を回収廃棄の処分手続を断行した次第である。

如斯であるから食品衛生法諸規定は将に大審院判例に示された「行政法規の趣意専らその行為より生ずる法律上の効果を弾圧するにあるときはその行為(本件取引行為)は無効なること勿論言々」に該当するものであつて右食品衛生法諸規定は之に反する当事者の如何なる意思表示もその存在を認めぬ所謂強行法規と解すべきである。従つて本件有毒菓子取引行為は結局民法第九〇条、第九一条に言ふ公序良俗違反行為として明に無効であると信ずる次第である。第二審判決が第一審判決を維持され更に前叙の通り附加されて公序良俗違反と言ふためには動機の不法に加へて不法性の強度を要求され、更に当事者の私的利益、当事者間の具体的衡平をも度外視し得る程度の場合でなければならぬと判示されてるが、第二審判決も結局第一審の判決を支持して大審院判例違反となつたものと思料する。無効の取引行為であゐ以上、当事者の一方或は双方が無効原因(有毒事実)を知つてゐると否とは取引行為の無効を左右するものではない。

以上の次第で上告人が本件取引行為の無効を理由に被上告人に提出した手形上の人的抗弁は有効であると信ずる次第である。

(四) 上告の事情を附記致します。

原審判決の結果は著しく社会正義に反する次第である。即ち上告人から本件有毒アラレ菓子を小売店に卸した場合、右小売店がその店頭にある右有毒菓子を保健所が無償で回収し廃棄された分については右小売店はその買付代金として上告人に支払つた金員の返還を求め来り、又代金未済の分については上告人が請求は不可能となるのである。然るに上告人は被上告人からの買入代金の支払債務履行方を判決せらるることは関係者間(上告人、被上告人、小売店)に著しい不均衡の結果を招くのである。この取引を無効とすれば被上告人に硼砂混入の資料を供給した第三者との間に於いて解決を計ることが取引秩序であり公平の観念に適すると思料する次第であります。 以上

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